映画館がやってきた!
2017年10月25日
平成29年9月29日に、待望のシネマコンプレックス「イオンシネマ シアタス調布」がオープンしました。
4DXを含む11のスクリーンで、最新映画から劇場が独自にセレクトした秀作や話題作も公開されます。
映画資料室ではシアタス調布で上映される「角川&大映映画祭」作品にちなんだ展示を行います。どうぞご覧ください。
2017年10月25日
平成29年9月29日に、待望のシネマコンプレックス「イオンシネマ シアタス調布」がオープンしました。
4DXを含む11のスクリーンで、最新映画から劇場が独自にセレクトした秀作や話題作も公開されます。
映画資料室ではシアタス調布で上映される「角川&大映映画祭」作品にちなんだ展示を行います。どうぞご覧ください。
2017年8月25日
第26回調布観光フェスティバルが、平成29年8月26日(土)、27日(日)の午前11時から午後4時まで、調布市役所前庭広場とその周辺で開催されます。
フェスティバルでは、「映画のまち調布応援キャラクター」として任命される「映画のまち調布」在住の怪獣「ガチョラ」が登場します。ガチョラが応援キャラクターになることを記念して、日本の怪獣映画をご紹介いたします。
2017年7月30日
2017年6月1日
イギリス出身の俳優ロジャー・ムーア氏が2017年5月23日(満85歳)逝去されました。ロジャー・ムーア氏は1973年から1985年の間に、イギリスの大人気スパイ映画『007』シリーズで、7作にわたってジェームズ・ボンドを演じました。
俳優として活躍する一方、ユニセフ親善大使などボランティア活動にも精力的で、2003年にはナイトの称号を与えられています。
映画資料室では、ロジャー・ムーア氏を偲んで、3代目ジェームズ・ボンドとして出演した007シリーズの映画パンフレットを展示します。
2017年5月18日
元宝塚歌劇団の娘役スターで、映画やドラマでも活躍した女優の月丘夢路(つきおか ゆめじ)さんが2017(平成29)年5月3日、肺炎で亡くなりました。95歳でした。
月丘さんは、1937(昭和12)年に宝塚音楽歌劇学校に入学し、娘役スターとして活躍しました。その後、1943(昭和18)年に歌劇団を退団した後、大映に入社。1947(昭和22)年には松竹京都へ移籍し、1955(昭和30)年1月には日活に移籍し、日活の代表的な女優となり、1959(昭和34)には、フリーへ転身しました。いつの時代も大女優として活躍しました。
映画・テレビドラマ・舞台を合わせると、およそ100タイトルの作品に出演しています。映画では、「瞼の戦場」、「君の名は(全3部)」、「ひろしま」、「二十四の瞳」、「華麗なる一族」等があり、テレビドラマでは、「七人の孫」、「水戸黄門」、「犬神家の一族」等があります。
2017年3月2日
スチール写真やロビーカード等、普段見ることのできない貴重な資料を数多く展示します。この機会にぜひご覧ください。
2017年2月20日
『ツィゴイネルワイゼン』、『けんかえれじい』、『東京流れ者』など、個性的で美しい映像作品を数多く生み出した映画監督の鈴木清順さんが2月13日、東京都内の病院で逝去されました。93歳でした。
鈴木監督は1923年、東京生まれ。旧制弘前高校(現弘前大学)に進み、戦争でフィリピン、台湾を転戦し、終戦後、映画製作の世界へ入りました。1948年松竹入社。1954年に日活に移籍し、1956年、『港の乾杯 勝利をわが手に』で監督デビューを飾りました。1959年、赤木圭一郎のデビュー作『素っ裸の年齢』や1966年、渡哲也出演の『東京流れ者』、高橋英樹出演の『けんかえれじい』など、独特な雰囲気に満ちたヒット作を連発しました。多くの作品に美術監督として木村威夫が関わっており、モダンで新鮮な色彩感覚とテンポのよい映像リズムは、「清順美学」と称されました。
1980年の『ツィゴイネルワイゼン』ではキネマ旬報ベストワン、日本アカデミー賞最優秀賞作品賞及び監督賞を獲得。また同作品はベルリン国際映画祭審査員特別賞を受賞するなど、国際的にも高く評価されました。1981年の『陽炎座』、1991年の『夢二』とともに「(大正)浪漫三部作」と呼ばれています。
他にもTVアニメ作品を手がけ、『ルパン三世』第2シリーズの監修のほか、ルパンシリーズの劇場映画第3作『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』では監督を務めるなど、幅広く活躍されました。
大森一樹監督など国内の映画監督に多大な影響を与えただけでなく、クエンティン・タランティーノ監督をはじめ国外でも信奉者は多く、『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼル監督が鈴木監督作品の影響を受けたと明かしています。
日本を代表する映画監督であった、鈴木監督が携わった映画作品のチラシ等を展示いたしますので、ご覧ください。
2017年1月28日
松方弘樹さんは1942(昭和17)年、時代劇のスターであった近衛十四郎氏の長男として生まれました。1960(昭和35)年東映に入社し、同年日高繁明監督「十七才の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で俳優デビュー。『兄弟仁義』(1966年公開)や『仁義なき戦い』(1973年公開)でやくざ役を好演し、俳優として確固たる地位を築きあげました。徐々にテレビドラマに活躍の場を移し、1988年から放送されたテレビ朝日『名奉行・遠山の金さん』は、1996年までシリーズが続くヒット作品になりました。バラエティー番組にも出演し、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演し人気を博しました。
私生活では、俳優の仁科明子(現亜季子)さんと結婚しましたが離婚。子どもである仁科克基さんと仁美さんも芸能界で活動しています。また釣り好きとしても有名で、300kgを超えるマグロを釣り上げるなど、本格的な腕前でした。
2016(平成28)年2月に脳の異常が見つかり、3月から開催予定のコンサートを降板。長期にわたり療養していましたが、2017(平成29)年1月21日、脳リンパ腫で逝去されました。74歳でした。